テクノ和尚の脱ニート宣言

会社をクビになったボクが、どうやったら“最強”になれるのかひたすら考えるブログです。

「父さんなんか死ね!!!」と父に叫んだ話

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ボクの父の話をします。

父は、ボクにとって憧れであります。
どういう父か客観的に言うなら「近所のおもろいおっさん」です。
 
父は警察官で、ボクが小1から中1までの7年間は田舎町の駐在所のお巡りさんでした。
平日はマジメに働き、休日はお金をかけずにケーブルテレビの競輪チャンネルで順位予想したり、映画館によく連れてってくれる父でした。
 
そして、なにより人を笑わせるのが好きな父でした。
 
地域の小学校での交通安全講習会では、おまわりさんからの挨拶で当時世間で流行っていたフレーズを上手に足して学生のみんなを笑わせていました。(大木こだまひびきが流行ったときは、「そんなやつおれへんやろ〜」。ちゃらんぽらんが流行ったときには「ちゅ〜〜っと半端やなぁ〜!!」など)
 
地域の野球大会でバッターボックスに立つときには、異常な程に腰を曲げた構えでピッチャーを笑わせ、常にフォアボール狙いでヒットを打つ事はありませんでした。
 
毎年9月の敬老の日では、地域のご高齢の方々を公民館に集めた敬老会に参加し、パーティーグッズのヒゲメガネハゲカツラをかぶり、植木等のスーダラ節をカラオケで歌って踊り、盛り上げていました。
 
大人になって気づいたのですが、交通安全教室でのあいさつは学生が話を聞くきっかけを作るため。野球大会での構えは、高校時代野球部だったので、まともに打って相手のピッチャーに恥をかかせないため。
常に相手の事を考えるやさしい父でした。
 
そんな父のやさしさに多少は気づいていたボクは、父を尊敬していたし、なんかカッコイイとも思っていました。
 
 
ある年の敬老の日に、公民館へ地域のお年寄りの方々が集まり、父の出番で毎年やってるスーダラ節のカラオケが始まりました。出し物でお笑いをやっているのは父だけだったので、
テクノのお父さんの出番来たよー!!
と、その時だけは小学生が公民館に集合し、父を見に来るのでした。
ボクもみんなと一緒に見に行ってました。
 
みんなハゲヅラでパッチ姿で踊りながら歌ってる父を見て大爆笑。
僕も父がみんなを笑わせてる姿を見て、なんか誇らしげでした。
 
みんな笑ってる中、ひとり小学生グループの中でU君という人がいました。
U君はグループの中で特に目立つタイプではなかったのですが、常にグループ内にはおり、ふとした一言でみんなを納得させるご意見番的ポジションでした。
U君の父親は、U君が幼い頃に死別し母親と二人暮らしでした。
 
そんなU君がボクの父を見て…
 
U君「ウチにはお父さんおらんけど、テクノ君んちの父さんみたいなのは嫌だなあ
 
その瞬間、今まで父で笑っていた周りの友達がさらにドッカーーーンと笑いました。
 
ハハハハハハ!!! たしかに! テクノの父ちゃんみたいなのは嫌やわ!!!!
オレあんな父ちゃんやったら自殺するわ!!!!!!
 
今まで人を笑わせていた父がU君の一言で笑われる立場になったのです。
僕は顔を真っ赤にし、下を向くしかありませんでした…。
 
みんな「ギャハハハハハハハハハハハ」
ボクの心「やめてくれ! やめてくれ!! やめてくれ!!!」
父「スイスイス〜ダララッタ〜♪
  スラスラスイスイスイ〜〜〜♫
ボクの心「やめてくれええええええ!!!!
     音楽止めろおおおおおおお!!!!!         植木等、止めろおおおおおおおおおおおおお
 
そんな僕の心の叫びはむなしく、一向に鳴り止まないスーダラ節。
僕は耳を塞ぎ、丸くなって固まるしかありませんでした。
 

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その夜、父は地域の飲み会から酔っぱらって帰って来てました。
まだ夜9時でしたが、僕は父の顔を見たくなかったので、早めに布団の中に入っていました。父は僕の布団のそばにかけより、
 
父「おい、どうやった? 今日のネタ? ウケてた??
 
と聞いてきました。毎回おふざけの後は友達の反応がどうだったか聞いてくるのですが、この日は僕は寝たフリを続けました。
 
父「起きてんやろ? 起きてんやろ??
 
と、僕の布団に入り股間を触ってくるので、しびれをきらした僕はガバッと布団から立ち上がり、
 
僕「死ね!!!!!!
  父さんなんか、シネ!!!!!!!
 
と叫び、また布団に潜りました。
そのときの父の顔は見れてませんが、父は何も言わずに寝室から出て行きました。
 
僕は声を殺して泣きました。
今日、父が笑われた事。父にひどい事を言ってしまった事。いろんな思いが駆け巡り、布団の中で泣いてしまいました。
 
翌朝、父は昨日何事も無かったかのように「おう、おはよう」と挨拶してきました。
何事も無く普段通りに。一発殴れればこんな感情にならないのに、なんかどうも申し訳ない気持ちになりました。
 
結局、その後も父に謝らず、一週間後にはボクもケロッと忘れていました。

しかし、時々この事を思い出し、あの時の発言に激しく後悔します。

僕は父を今でもすごく尊敬しています。
それはあの時、父は僕を殴らなかった事も関係しているのかもしれません。
 
父はボクが中2からは単身赴任になり、たまにしか会えていません。
今年で定年退職になるので、おつかれさんとビールをそそいであげたいなと思います。
 

アンカー パーティーメガネ

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